病院の待合室で一人の女性が待っていた

ボタンが閉められたベージュのトレンチコートの下から紺色のスカートが見える

彼女は先ほどから左腕にしている細い腕時計を見て

そわそわしていた

そう、もう1時間以上もこうして診察を待っているのだ


「28番の方、どうぞー」

診察室のドアが開き、看護師がそう告げる

その声を聞いて、彼女は慌てて立ち上がった


―――

「ごめんねー。今日は紹介の患者さんが多くて診察がおしちゃって・・・」

そう言いながらカチャカチャとキーボードを打つのは

循環器医師 久保田 健一だ

「そうなんですか・・・」

「で、調子はどうかな?・・・松井さん」

久保田はくるっと椅子を回し、彼女の方を見て笑った

「はい、調子いいです」

彼女、松井 玲奈はそういって笑った


―――初恋の行方とプレイボール 3年後  ――――

「・・・」

久保田は心電図を真剣な顔つきで見つめ

「うん。問題ないねー。じゃあ、もう次は1年後にしようか」

「え・・・ほ、本当ですか!?」

少しの沈黙の後、玲奈は興奮気味に言う

「うん。手術してから3年、異常もないからね。まぁ来なくていいとは言えないんだけどね」

久保田は苦笑いをする

「いえ、そんなことないです」

玲奈はわたわたと手を振り

「・・・あ、あと・・・」

少しの沈黙の後、顔を赤らめながら久保田を見る

「ん?」

「傷の事なんですけど・・・」

「あ、形成?うん。いいんじゃないかな」

「へ・・・。いいんですか?」

玲奈の顔がパッと明るくなる

「うん、もう今年二十歳でしょ?だから、大丈夫だよ。紹介しとくからさ、この後形成外科で診察受けれるかな?」

「あ・・・すいません、今日は・・・」

玲奈がそう言いかけて

「あ、そうか!今日はダメだよね。じゃあ、今度いつ来れるかな?形成は火曜日と金曜日が診察日なんだけど」

久保田はハッとしてパソコン画面に映し出されていた『形成外科本日受診』という文字を消す

「えっと・・・じゃあ来週の金曜日の午前でもいいですか?」

「わかった」

久保田は素早くキーボードを打ち、隣のプリンターからガーガーと音を立てて1枚の紙が出てくる

「はい、予約券。また時間あったら顔見せに来てね」

「は、はい。ありがとうございます」

「どう?大学生活?」

「あ、何とかやってます」

玲奈は立ちあがろうと浮かしていた腰をまた下ろす

「そろそろ実習もあるんじゃない?うちの病院にも来るの?」

「は、はい・・・秋くらいですかね・・・」

そういって玲奈は診察室に掛けられている時計をちらっと見る

「あ、ごめん。急いでるよね。じゃあ、楽しんできてね」

「はい、すいません先生!ありがとうございました!」

玲奈はそう言うと素早く椅子から立ち上がり扉を開けて出て行った

「あーあ。僕も見たかったなぁ・・・」

久保田はそう呟きながら、カルテを書く

「久保田先生。中西先生来てませんか?」

診察室の奥のカーテンから看護師がひょこっと顔を出してきた

「え・・・来てないよ。どうしたの?」

「診察終わったと思ったら急にいなくなっちゃって・・・病棟にも居ないし。ここに来てないかなーと思って」

「あー・・・」

久保田はハッとして、苦笑いをした

「知ってます?カルテ整理頼んでたんですけど」

「いや、ごめん。わかんないや・・・」

「そうですか。・・・中西先生、患者受けと手術の腕はいいんですけど・・・カルテ整理だけは苦手なんですよね・・・」

看護師はため息をつき、ぶつぶつと文句を言いながらカーテンの奥へと再び消えて行った

「・・・ごめんよ。ほんとの事言ったら僕が怒られちゃうから」

久保田はそう呟いて、苦笑いをした

――――

1階で会計が終わると

玲奈は正面玄関に向かって駆けだした


ガーー・・・

気持ちとは裏腹にゆっくりと開く自動ドアの隙間を抜けて

玲奈は外に跳び出す


その時

サァァァァッ・・・

春風が身体を通り抜け

そして

病院脇の桜の木々たちから

花びらが一斉に舞った


「・・・きれい」

玲奈は足を止め

3年前の事を思い出していた



高校2年の春・・・

私は、この桜をいつまで見れるのだろう・・・

そんなことを思っていた

でも・・・今は・・・

玲奈はそっと胸に手を当てる


「おーい!玲奈ちゃーん!」

「え?」

声のした方を見ると

桜の下で手を振っている人物がいた

玲奈は目を凝らし、その人を見る

「あ、中西先生!」

そういって玲奈は桜の木の下の方に向かって走る

「しーっ!今は名前で呼ばないでっ!」

「え?」

いやに慌てた様子に玲奈はきょとんとした

この女性は 中西 優香

3年前の夏に玲奈の心臓の手術をした心臓外科医だ

元々アメリカに留学中だったのだが

去年の秋からこの病院に帰ってきていた


「・・・」

玲奈は中西の格好を頭からつま先までじっくりと眺める

いつもは白衣にYシャツと、かっちりした格好をしているのに

今日は帽子に眼鏡、そしてラフなグレーのパーカーに黒のパンツ・・・

おまけに靴はスニーカーだ

まるで、天気がいいから散歩に行きますというような格好に

玲奈は首をかしげる

「あ、あの・・・」

玲奈が格好について聞こうとした時

「げっ!」

中西が正面玄関の方を見て苦笑いをした

「へ?」

玲奈は反射的に振り向く

正面玄関にはきょろきょろとあたりを見渡す看護師の姿があった

「玲奈ちゃん!とりあえず行こう!」

中西は玲奈の手を取る

「せ、先生?」

「早くしないと、試合始まっちゃうよ」

「あ!はい!」

その言葉に、玲奈はハッとして中西にスピードを合わせて走り出した

タタタタ・・・・

中西に手を引かれながら

玲奈は花びらが舞う中を走る・・・

「ふふっ・・・」

「え?どうしたの?」

後ろで玲奈が笑ったので

中西は一瞬振りかえった

「ううん。なんでもないです、先生」

「そう?じゃあ、急ごうか。今タクシー乗っても道混んでるし。走った方が早いから!このままいくよ!」

「ふふっ・・・はいっ!」

中西の台詞に

玲奈はまた笑った


3年前は

玲奈は走ることすらできなかった

でも

今は、違う

運動制限もなくなって

あと何回見られるのだろうと思っていた

この桜並木の下を走っている

3年前とはすべてが違っていて

それがなんだか、たまらなく可笑しくて

玲奈は中西の背中を見ながらクスッと笑った

(あ、また笑っちゃった・・・でも、先生が走ろうだなんて・・・やっぱり可笑しい)


そんなことを思いながら

玲奈は心臓が跳ねる鼓動を

しっかりと感じていた